むろみとカルチャーは今夜も夢中

一期は夢よ、ただ狂え

あの子にフラれるための10の方法

またフラれちゃった

らしさを追い求めすぎて

なんだかわからない

丸ができた

 

自転車でくるあの子

きっとあたしは

何も出来ずにぼーっと

花粉混じりの花風

吸い込んでる

 

あぁ恋しちゃった

桜が咲くには早過ぎて

もう戻れない

蕾はまだか

 

絆創膏を渡すあの子

ずっと知ってた

誰とも喋らず

あなたの道筋

目で追ってた

 

明日もまた来るのか

こんなにもアツいのに

チーズピザとあなたの好きな

乳酸菌飲料

楽しもうね

 

とっくりを使うように

あの子に触れた

あたしは今

あなたの目の奥を見てる

どんなことがあっても

ずっとそばにいるから

 

 

ロックンロールスター

ロックンロール

ロールが不滅だってこと、きみは

証明してくれた

ぼくの青春の終わりに

 

ロックンロール

スターは儚いってこと、きみは

体現していた

ぼくの人生の終わりに

 

あぁきっとぼくはきみにはなれない

でもそうさきみはぼくに似ている

体型も顔も髪型も違ってもわかる

ぼくはきみにあこがれてる

 

ロックンロール

ロールが人を解き放つってこと

教えてくれた

物好きしかいない場所(ハコ)で

 

ロックンロール

スターが激しく燃えていた

明日も生きろと(明日も生きると)

力、蓄え合った

 

あぁきっとぼくはきみにはなれない

でもいつもきみにぼくをみてしまう

年齢も生き方も性別も違うけど

ぼくはきみにあこがれてる

ぼくはきみにあこがれてるんだ

 

なぜ、きみに惹かれるのかって

なぜ、ぼくがここにいるかなんて

理由を考えるなんて野暮ったいよな

ただ今日もきみが儚く輝いている

それだけでいいそれだけがいいんだ

 

ロックンロール

ロールが不滅だってこと、きみは

鮮やかに見せつけた

ぼくの青春が終わる

 

ロックンロール

スターにあこがれていた、季節は

轟音とともに

ぼくの夢を蹴飛ばした

夢の中で

幻じゃないって泣いた

 

 

 

 

 

 

 

大人って

大人って
大人って最高なのに
きみはまだ
お酒すら飲めない
クレジットカードも使えない

大人になるまでの過程
ああきみは
どこかに置いてきてしまったんだね
せめてもの愚痴を餞に

大人が指さす大人って
実は子どもの延長戦
付加されたイメージが
大人へと変えていく
そうしていつか
そうしてきみは

大きな愛を注がれて
大きくなった君は
あした旅立つ
お酒は飲めても
カードは使えないきみ
学生時代をかなぐり捨て
きみは大きな人になった

どうか
大人にだけはならないで
せめて
大人にだけはならないで

宗教について

僕の家では祖父母の時代から、某宗教を信仰している。

もちろん僕も幼い頃からそれが当たり前であるかのように教育を受けてきた。

「洗脳」という言葉はどうもマイナスなイメージが先行してしまっていてあまり使いたくないのだが、

あの教育はきっとそれにあたるものだったと思う。

でもそれは別に心地の悪いものではなかった。(洗脳なら当たり前か)

そして引いた目で見ても、道徳的に明らかにおかしいこと(オ●ムみたいな)は言っていなかったし、不当にお金を巻き上げることもなかった。

たまにある座談会めいたものに連れて行かれても、おばさんやおじさんはいつもニコニコと優しくしてくれているし、お菓子もいっぱいもらえた。

高校生にもなってくると何だかよくわからない試験も受験することに。

でもとくに反抗することもなく“両親が喜んでくれるなら”と思って受けて、合格した。

 

僕の一家が信仰している宗教は、良く言えば希望に満ち溢れて聞く者の背中をそっと押すような美談。

悪く言えば、耳障りの良い言葉を並べてよくある努力成功型(苦悩→祈りまくる→結果がついてくるみたいな)のエピソードを内容と話す人間を変えて伝えているだけ。

余談だがその座談会で流れる映像には字幕がついていて、スクリーンの中の観客が笑うと“(笑い)”と出てくる。

なぜ“(笑)”ではなく、“(笑い)”なのだろうか。あの“い”は必要なのだろうか…と観る度にうっすらと思っていたのだが、誰かに訊くほどのことでもないので、スルーしていた。

でも僕はあの“(笑い)”が、都合の良い言葉をまくし立てる不気味さを視覚化しているような気がする。(これ以上掘り下げても何も出てこないので、今後は言及しない。)

 

僕はその美談に心から納得することもなかったが、特段おかしなことを言っているとも思わなかったので反論もしなかった。

そして目の前に置かれた環境を一度は信じてみようと、本気で祈ってみることで発見したことが1つ。

それは本気で祈る(たとえば「幸せになるように」とか)ことで、脳に良いことを見つけるバイアスがかかるということだ。

実際に良いことが起こると、“あれだけお祈りした成果が出た!”と、ますますその宗教を信じるようになる。

でも冷静に考えると、お祈りして脳にバイアスさえかければ唱えるのはお決まりの台詞じゃなくても、極論「ウンコ、ウンコ…」でもいいんじゃないかということ。(実際にやったら笑えてきてお祈りどころじゃなくなると思うが)

逆に嫌なことが起こると、“あれだけ祈ったのに…”と必要以上に落ち込んだこともあった。

でもこれって、誕生日とか入試の合格発表日とかと一緒じゃないか。

何か良いことが起こったら“今日は誕生日だからプレゼントが贈られたんだ!”と喜び、反対に悪いことが起こったら“せっかくの誕生日なのになんでこんな想いをしなくちゃいけないの!”と普段よりも悲しくなる。

実際に自分が通った高校の入試合格発表を見に行く道中、全ての信号が青だったことを、“早く見に行け”という思し召しだったんだ…!と舞い上がったこともあった。

本当に人間は都合良くできている。脳さえ騙せばオールウェイズハッピーなんだから。

きっと僕の祖父母と両親は、今の宗教を信じることで脳をうまく騙していくことに成功したのだろう。一種の才能(脳?)だとも思う。

 

でも両親(とくに母親)が僕を洗脳しきれなかった原因を1つ挙げるとしたら、僕に“音楽を聴くことの楽しさ”を教えてしまったことだ。

音楽はすがるのにあまりにも適していて、懐が深くて、決して裏切ることはなかった。

音楽を通して様々な表現者と出会うことで、徐々に広がっていく僕の脳内の世界観。

もちろん音楽だけではなく、映画、本、テレビやネットのコメントだってその手助けをしてくれた。

カルチャーにアンテナを立てて、様々な立場の表現者の意見を吸収していくことで、だんだんと気づいてきた今の宗教に対する違和感。

きっと普段の情報量が少ないと、目の前の光を光だと疑わずに飛び込んでしまうのだろう。(熱心な信者に老人が多いのはそういうことなのかも)

 

しかし違和感に気づいた今でも、僕は毎朝30秒ほどお決まりの台詞を唱えて祈ってから、出かける。

そして仏壇に飾ってある祖父と祖母の遺影に笑顔を見せるのだ。

宗教を理屈でいくらこねくり回せても、“大好きな人が信じていたもの”はなかなか裏切ることができない。

カルチャーが僕を支えていてくれたように、心からの信頼を寄せていた祖父母の支えが今の宗教なんだとしたら、それはもう認めざるを得ない。

結局、“愛”の前には全面降伏するしかないのだ。

そんなクリシェで都合よくまとめてしまって恐縮だが、22年生きていてようやくわかり始めたことだから忘れないように書いておく。もうすぐ春だね。How do you feel?

マクドナルドと駐車場

君は覚えていた

あの言葉を

マクドナルドの駐車場

感情を押し殺した

 

でも僕は僕なりの

アイツはアイツなりの

誠意を見せてくれた

あの日のハンバーガーが塩っぱかったなんて

陳腐な台詞を言う前に

少しは君のことを引き止めれば良かったのかなと

たまに頭をかすめる

 

それぞれがそれぞれの道を帰ってゆく

たまたまその時助手席にいただけの話

刹那的な関係だということを知っている

僕も早く悟りたかった

 

飄々と生きているようでアイツの

悩みなんかなさそうな顔してアイツの

少しオーバーなため息をつくアイツの

ことは何も知らないまま

不確かな約束を鵜呑みにしていたんだな

 

鮮明に焼き付くは

あの夜マックの駐車場

もうどこにあるのかも覚えていないけど

助手席から見えた景色が

やけに綺麗だった気がする

 

僕はずっと覚えていた

でも問いただすことはなかった

そうしたら急に言い出すもんだから

僕は覚えていることをアピールすることしかできなかった

でもわかっていた

アイツの心は変わらない

引き止めるほどの関係でもない

ただ全てをわかったフリして受け止めていた

365日が3回過ぎようとする頃

ようやく気づいた

泣きたかったと

 

カーステレオから流れていた

安っぽいオムニバスミュージック

僕は言葉を探した

ただ言葉を探していた

 

 

 

 

麦酒飲みたい

好きな人

何も言えずにドキマギ

時々生きているのが苦しくなる

生きていることに慣れた

生きていることに疲れた

でも死にたくはない

 

高校生の頃から思うことは変わっていなくてさ

成長はどこかに置いてきたみたいだ

イヤホンの中で君は、「もう泣くなよ」と歌ってくれる

 

そっちの世界へ

連れてっておくれよ

この苦しみを忘れさせて

心を芯から温めてよ

いつかその

いつかその

ユートピアに辿り着く頃

もう動けない身体になっているんだろう

 

感情をセーブして

遺った想いはそのままで

闇雲に今日やることをやって

酒を飲んで忘れたフリをする日々

 

もう疲れた

もう疲れた

生きたくないけど疲れた

もう疲れた

もう疲れた

殺されたくはないけど休みたい

 

好きなことを仕事に

趣味と仕事の境目をあやふやに

できたらいいなと思っていた

そんな最高なことはないと

 

幸せなまま死ねたら

でもまだ死ねない

だって幸せじゃないから

こんなんじゃ満足出来ないから

 

君があっと驚くようなことを言う

僕は凄いねと褒めてみる

 

Say Good-bye to memory Shibuya!

渋い谷にさようならを

告げた通った日々が

残照のように脳裏に浮かぶ

君との思い出が店にこびりついて

通る度に頭の中の引き出し

勝手に開いて閉じないまま

 

渋い谷にさようならを

長らく歩いてきたあの道が

今となっては思い出に

そんなこと歌っていた人いたよな

そうか現実になったのか

 

僕は手を合わせたよ

なんだか切なくて涙が出そうで

出ないな塩辛い

 

ファンファーレ鳴らしたのは君か

車のクラクションにも似た

そんな思い出なぞらえて

臭い空気思いきり吸い込んだ

 

僕は手を合わせたよ

嫌いだったアイツも今となっちゃ

恋しく思うんだな

 

スクランブル交差点

宮益坂道玄坂

ファミマローソンゆで太郎

ファーストキッチンいつかの牛かつ屋

銀だこ居酒屋あの喫茶店

忘れる前にもう一度

Say Good-bye to memory Shibuya!