むろみとカルチャーは今夜も夢中

一期は夢よ、ただ狂え

大人って

大人って
大人って最高なのに
きみはまだ
お酒すら飲めない
クレジットカードも使えない

大人になるまでの過程
ああきみは
どこかに置いてきてしまったんだね
せめてもの愚痴を餞に

大人が指さす大人って
実は子どもの延長戦
付加されたイメージが
大人へと変えていく
そうしていつか
そうしてきみは

大きな愛を注がれて
大きくなった君は
あした旅立つ
お酒は飲めても
カードは使えないきみ
学生時代をかなぐり捨て
きみは大きな人になった

どうか
大人にだけはならないで
せめて
大人にだけはならないで

宗教について

僕の家では祖父母の時代から、某宗教を信仰している。

もちろん僕も幼い頃からそれが当たり前であるかのように教育を受けてきた。

「洗脳」という言葉はどうもマイナスなイメージが先行してしまっていてあまり使いたくないのだが、

あの教育はきっとそれにあたるものだったと思う。

でもそれは別に心地の悪いものではなかった。(洗脳なら当たり前か)

そして引いた目で見ても、道徳的に明らかにおかしいこと(オ●ムみたいな)は言っていなかったし、不当にお金を巻き上げることもなかった。

たまにある座談会めいたものに連れて行かれても、おばさんやおじさんはいつもニコニコと優しくしてくれているし、お菓子もいっぱいもらえた。

高校生にもなってくると何だかよくわからない試験も受験することに。

でもとくに反抗することもなく“両親が喜んでくれるなら”と思って受けて、合格した。

 

僕の一家が信仰している宗教は、良く言えば希望に満ち溢れて聞く者の背中をそっと押すような美談。

悪く言えば、耳障りの良い言葉を並べてよくある努力成功型(苦悩→祈りまくる→結果がついてくるみたいな)のエピソードを内容と話す人間を変えて伝えているだけ。

余談だがその座談会で流れる映像には字幕がついていて、スクリーンの中の観客が笑うと“(笑い)”と出てくる。

なぜ“(笑)”ではなく、“(笑い)”なのだろうか。あの“い”は必要なのだろうか…と観る度にうっすらと思っていたのだが、誰かに訊くほどのことでもないので、スルーしていた。

でも僕はあの“(笑い)”が、都合の良い言葉をまくし立てる不気味さを視覚化しているような気がする。(これ以上掘り下げても何も出てこないので、今後は言及しない。)

 

僕はその美談に心から納得することもなかったが、特段おかしなことを言っているとも思わなかったので反論もしなかった。

そして目の前に置かれた環境を一度は信じてみようと、本気で祈ってみることで発見したことが1つ。

それは本気で祈る(たとえば「幸せになるように」とか)ことで、脳に良いことを見つけるバイアスがかかるということだ。

実際に良いことが起こると、“あれだけお祈りした成果が出た!”と、ますますその宗教を信じるようになる。

でも冷静に考えると、お祈りして脳にバイアスさえかければ唱えるのはお決まりの台詞じゃなくても、極論「ウンコ、ウンコ…」でもいいんじゃないかということ。(実際にやったら笑えてきてお祈りどころじゃなくなると思うが)

逆に嫌なことが起こると、“あれだけ祈ったのに…”と必要以上に落ち込んだこともあった。

でもこれって、誕生日とか入試の合格発表日とかと一緒じゃないか。

何か良いことが起こったら“今日は誕生日だからプレゼントが贈られたんだ!”と喜び、反対に悪いことが起こったら“せっかくの誕生日なのになんでこんな想いをしなくちゃいけないの!”と普段よりも悲しくなる。

実際に自分が通った高校の入試合格発表を見に行く道中、全ての信号が青だったことを、“早く見に行け”という思し召しだったんだ…!と舞い上がったこともあった。

本当に人間は都合良くできている。脳さえ騙せばオールウェイズハッピーなんだから。

きっと僕の祖父母と両親は、今の宗教を信じることで脳をうまく騙していくことに成功したのだろう。一種の才能(脳?)だとも思う。

 

でも両親(とくに母親)が僕を洗脳しきれなかった原因を1つ挙げるとしたら、僕に“音楽を聴くことの楽しさ”を教えてしまったことだ。

音楽はすがるのにあまりにも適していて、懐が深くて、決して裏切ることはなかった。

音楽を通して様々な表現者と出会うことで、徐々に広がっていく僕の脳内の世界観。

もちろん音楽だけではなく、映画、本、テレビやネットのコメントだってその手助けをしてくれた。

カルチャーにアンテナを立てて、様々な立場の表現者の意見を吸収していくことで、だんだんと気づいてきた今の宗教に対する違和感。

きっと普段の情報量が少ないと、目の前の光を光だと疑わずに飛び込んでしまうのだろう。(熱心な信者に老人が多いのはそういうことなのかも)

 

しかし違和感に気づいた今でも、僕は毎朝30秒ほどお決まりの台詞を唱えて祈ってから、出かける。

そして仏壇に飾ってある祖父と祖母の遺影に笑顔を見せるのだ。

宗教を理屈でいくらこねくり回せても、“大好きな人が信じていたもの”はなかなか裏切ることができない。

カルチャーが僕を支えていてくれたように、心からの信頼を寄せていた祖父母の支えが今の宗教なんだとしたら、それはもう認めざるを得ない。

結局、“愛”の前には全面降伏するしかないのだ。

そんなクリシェで都合よくまとめてしまって恐縮だが、22年生きていてようやくわかり始めたことだから忘れないように書いておく。もうすぐ春だね。How do you feel?

マクドナルドと駐車場

君は覚えていた

あの言葉を

マクドナルドの駐車場

感情を押し殺した

 

でも僕は僕なりの

アイツはアイツなりの

誠意を見せてくれた

あの日のハンバーガーが塩っぱかったなんて

陳腐な台詞を言う前に

少しは君のことを引き止めれば良かったのかなと

たまに頭をかすめる

 

それぞれがそれぞれの道を帰ってゆく

たまたまその時助手席にいただけの話

刹那的な関係だということを知っている

僕も早く悟りたかった

 

飄々と生きているようでアイツの

悩みなんかなさそうな顔してアイツの

少しオーバーなため息をつくアイツの

ことは何も知らないまま

不確かな約束を鵜呑みにしていたんだな

 

鮮明に焼き付くは

あの夜マックの駐車場

もうどこにあるのかも覚えていないけど

助手席から見えた景色が

やけに綺麗だった気がする

 

僕はずっと覚えていた

でも問いただすことはなかった

そうしたら急に言い出すもんだから

僕は覚えていることをアピールすることしかできなかった

でもわかっていた

アイツの心は変わらない

引き止めるほどの関係でもない

ただ全てをわかったフリして受け止めていた

365日が3回過ぎようとする頃

ようやく気づいた

泣きたかったと

 

カーステレオから流れていた

安っぽいオムニバスミュージック

僕は言葉を探した

ただ言葉を探していた

 

 

 

 

麦酒飲みたい

好きな人

何も言えずにドキマギ

時々生きているのが苦しくなる

生きていることに慣れた

生きていることに疲れた

でも死にたくはない

 

高校生の頃から思うことは変わっていなくてさ

成長はどこかに置いてきたみたいだ

イヤホンの中で君は、「もう泣くなよ」と歌ってくれる

 

そっちの世界へ

連れてっておくれよ

この苦しみを忘れさせて

心を芯から温めてよ

いつかその

いつかその

ユートピアに辿り着く頃

もう動けない身体になっているんだろう

 

感情をセーブして

遺った想いはそのままで

闇雲に今日やることをやって

酒を飲んで忘れたフリをする日々

 

もう疲れた

もう疲れた

生きたくないけど疲れた

もう疲れた

もう疲れた

殺されたくはないけど休みたい

 

好きなことを仕事に

趣味と仕事の境目をあやふやに

できたらいいなと思っていた

そんな最高なことはないと

 

幸せなまま死ねたら

でもまだ死ねない

だって幸せじゃないから

こんなんじゃ満足出来ないから

 

君があっと驚くようなことを言う

僕は凄いねと褒めてみる

 

Say Good-bye to memory Shibuya!

渋い谷にさようならを

告げた通った日々が

残照のように脳裏に浮かぶ

君との思い出が店にこびりついて

通る度に頭の中の引き出し

勝手に開いて閉じないまま

 

渋い谷にさようならを

長らく歩いてきたあの道が

今となっては思い出に

そんなこと歌っていた人いたよな

そうか現実になったのか

 

僕は手を合わせたよ

なんだか切なくて涙が出そうで

出ないな塩辛い

 

ファンファーレ鳴らしたのは君か

車のクラクションにも似た

そんな思い出なぞらえて

臭い空気思いきり吸い込んだ

 

僕は手を合わせたよ

嫌いだったアイツも今となっちゃ

恋しく思うんだな

 

スクランブル交差点

宮益坂道玄坂

ファミマローソンゆで太郎

ファーストキッチンいつかの牛かつ屋

銀だこ居酒屋あの喫茶店

忘れる前にもう一度

Say Good-bye to memory Shibuya!

DYGLを観てウルウルした話。

どうも。サブカルクソ野郎改め、サブカルクソ〈ナルシスト〉←NEW!野郎こと、むろみです。

 

皆さんDYGLってバンド知ってますか?〈デイグロー〉って読みます。

4人組です。

日本人です。

海外でも活動しています。

めっちゃかっこいいです←主観

めっちゃ見た目若いです←主観

あの中の誰かに生まれ変わりたいです←知らん

 

本日2017年5月14日、渋谷WWW Xにて行われたDYGL初のワンマンライブに行ってきました。

それがめっちゃ良かったので、主観だらけの感想をここに書き残しておきます。(※多少ネタバレあり)

 

f:id:muromimusic:20170514225300j:image

 

そもそもの出会いは、昨年の夏にLIQUIDROOMで行われたThe fin.との対バンに出ているのを観てから。「Let It Sway」という曲のかっこよさに衝撃を受け、みるみるうちにハマって今に至るわけです。

 

当時は"誰も知らねぇバンド見つけたった!”みたいな気持ちで聴いていたんだけど、あれから1年も経ってないのにもうWWW Xのワンマンがソールドアウトして追加公演が決まるまでに!

 

みんなセンス良いね!!

俺も含めて!!!!!!!!!!

 

 

そしていよいよ幕が開く。

"さてどんなステージを観せてくれるのかな?"と斜に構えて腕を組んでいられたのも最初の数秒だけ。

 

新作『Say Goodbye to Memory Den』の1曲目を飾る「Come Together」のイントロが始まった時点で、もうかっこよすぎてニヤついていました。「Take It Away」で会場の温度を上げると3曲目でもう「Let It Sway」!

 

びっくりしたのとかっこいいのとまた生で聴けて嬉しいのとで、もう私の両目はウルウル。誰かの髪の毛が1本でも当たるもんなら、両目ダムが決壊するところでした。

 

何回聴いてもやっぱり良い曲だし、EP『Don't Know Where It Is』に入っているバージョンとは違ってかっこよさに磨きがかかっているし!もう!ね!最高!

語弊を恐れずに言うとOasis × The Beatles

今やどっちも現存していないけど、日本にいたよ!!!!!

やったね!!!!(テンションがおかしい)

 

 

さて、気を取り直して。

彼らの曲全てに共通しているのは、ロックンロールなのに泣けるところ。

かっこいいのにどこかノスタルジック。そして、広大な荒野に置き去りにしたような寂しさがあるんだよな。

そこから大きな声で叫んでいるような感じがするんだ。

その孤独感がロックンロールと共鳴して、心を揺さぶってくる。

 

さらに、回り出すミラーボールがノスタルジックさを増幅させるし、本編ラストの「Don't Know Where It Is」は、その迫力あるアンサンブルに痺れまくった。そしてここでもウルウル。叫びのような歌声が心にグサグサ刺さった。

 

そうして一通りウルウルして気がつくと、やる気でみなぎっている自分がいた。

楽曲から伝わってくる"あっ、俺だけじゃないんだ"という安心感で、心が満たされたのかもしれない。

 

正直、行く前は5月病をこじらせていて会場に向かう足が重かった。

 

でも会場出た後は、なんだか足取りも軽やか。このままどこか映画館にでも入ってレイトショーでも観に行こうかと思うくらい。(明日早いから断念したけど)

ふらっと入って食べた牛丼の味も、心なしかいつもより美味しく感じる。

電車の中でカバンを当ててくる無神経おばさんも、今日なら許せる。

 

DYGLは乾ききった心を潤してくれるバンドなんだ。

心を潤すのにわかりやすくて感動的な歌詞なんかいらない。

全編英語で歌う彼らの音楽がそう教えてくれた。

 

大事なのは言葉じゃなくて魂。

 

う〜ん!にくいね!こんなにクサいセリフが似合うクールなバンド他にはいないよ!

 

演奏時間がアンコール含めても1時間ちょいというのも潔ぎ良くてクール!

 

短くても満足感はしっかりあるから、大事なのは時間じゃなくて"密度"なんだなということも改めて実感。

 

オーディエンスも、もみくちゃになるわけでもないし、タオルを振り回してホコリっぽくなることもないし、騒ぎまくって当たり屋みたいなことをするキチ〇イもいないし、とっても快適に観られた。

 

こういうバンドがもっと大きくなってもらわないと困る。

 

これから彼らがどんな道を歩んでいくのか、本当に楽しみ。

そういえばフジロックの出演も決まっているじゃないか。一番大きなステージに立つ日も意外とそう遠くないかも。

 

あなたもチケットが取れなくなるほど大きくなる前に、是非。

 

DYGL「Let It Sway」Official Video

 https://youtu.be/F_7z9JMvi4Y

 

季節外れの花火かと思ったら月だった

季節外れの花火かと思ったら月だった。

気がついたらまたみんなと同じになりたがっている。
誰かが太い道と言っていた。
そこで寝っ転がりたいと思った。

 

季節外れの花火かと思ったら月だった。
ふと普通になりたいと思った。
過半数を超えたらマジョリティと言うらしい。
そこでカメレオンになりたいと思った。

 

季節外れの花火かと思ったら月だった。
自分から裏路地へ入って行った。
大通りを気にしつつも、ここでいいんだと言い聞かせていた。

 

大通りを車で行き交う人たち。
意識してか無意識か、ふと細い道をスイスイ走り抜ける車に憧れた。
そして励まされもした。

 

季節外れの花火かと思ったら月だった。
大通りでは事故が多発しているらしい。
僕は裏路地に逃げ込んでそのまま眠り込んだ。

ぬるっとした空気が全身にまとわりついて目が覚める。
まだ裏路地にいたことに安堵のため息をつく。
いつからだろう。
裏路地が愛しくて愛しくてたまらない。
裏路地に辿り着くことができた自分も愛おしくてたまらない。

 

ふとポッケの中の小銭が転がった。
向かう先は大通り。
行き交う人の足の裏で、その小銭は止まった。
大事にしまったあと、また自分の居場所を確認するために、裏路地へ戻った。

僕が好きなものしかない場所。
僕の好きな人しかいない場所。
いつしか心地よくなって、また眠ってしまった。

 

そして今日も大通りを横目に、裏路地を突き進む。
これが僕だと、何者にも染まれぬ者が歩む道だと盲信しながら突き進む。
振り返ったらやるせなさで崩れてしまいそう。
だから僕は、裏路地に咲いている花を、草を、精一杯愛でる。
そこでたまたま手が触れた人と語り合う。

 

季節外れの花火かと思ったら月だった。
何にも似ていなかった。
空にあるという共通点1つで交じりあった2つが、僕を目覚めさせる。

それはまるで大通りを歩く人たちのように見えた。
きっとそれくらい奥まった裏路地に入ってしまったのだろう。

あの大通りからは見えない。
そんな優越感がよぎったら、あの月を掴まえに行くまでだ。

 

いつしか大通りはパンクし出す。
気づいた時には裏路地への入口は閉ざされているだろう。

僕は閉ざされたことを知らないまま、裏路地をスイスイ走り抜ける。

 

季節外れの花火かと思ったら月だった。
閉ざされた入口の外側から、太陽の光が僅かに漏れていた。
もう振り返ることはない。月光を頼りに進んでいくだけ。


季節外れの花火かと思ったら月だった。
月明かりが絶対的な共通項の脆さをあぶり出した。
それだけ違う2つが共存している世界。
大通りではたくさんの人が賑わう世界。
僕は水面に反射した自分の顔を溺愛しながら進む。
いつか横目に見ていた人たちが追いつけなくなるまで進む。

 

季節外れの花火かと思ったら月だった。
同じことなんて何もなかった。
同じようなことが集まっている世界だった。

いつしか大通りを歩く人に連なり、自分を殺した。

 

季節外れの花火かと思ったら月だった。

自分がいなくなったことに気づいても、もう裏路地へは入れない。

いつしか君は薄気味笑っていた路地裏に入りたくなっている。

 

そんなこととは露知らず、僕は色んな乗り物を駆使して裏路地を進んでいく。

もう大通りへ誘い込もうとする声がしても、戻り方がわからない。

戻ろうとしてももうそこは誰かが看板を立てただけの道だ。

いつもより眩しげな光が裏路地を照らしていた。

 

季節外れの線香花火かと思ったら満月だった。